「また戻ってきちまったな」
グレートアーチの桟橋で、ブラックは小さくつぶやいた。
世界有数の保有地であるこの場所は、常に浮き立つような高揚感に包まれている。
砂浜でのんびりと昼寝をする若い女に、出会いを求めてうろつく若い男たち。大量の汗
を流しながらひっきりなしに冷たい飲み物を喉に流し込むでっぷりと太った男がいれば、
獲物を探して鋭い目を光らせているごろつきたちが通り過ぎていく。
胸にぽっかりとあいた空虚感をどうなだめたらよいのか分からず、少しでもにぎやかな
場所がいいかと再び戻ってきたこの地だが、生きる目的を失った今となれば、周りがにぎ
やかであればあるほど心が冷え込んでいくことを知っただけだった。
「さて、これからどうしたもんか」
寂しさを紛らわせるように、あえて明るい口調でつぶやいてみたが、その言葉にだれも
答えてくれない事実が彼をより一層の孤独に追いやる。
おれはこんなに弱い男だったのか。
自分の不甲斐なさが情けなく、水平線のかなたに湧き上がる入道雲を見つめながらブラ
ックはため息をついた。
この体と若さを取り戻したおれ様とあろう男が、何を往生際の悪いことを思ってるんだ。
温海の狼と恐れられた海賊に、もう一度返り咲くことだって可能だろうが。
そう自分に言い聞かせた瞬間、目の端を通り過ぎた女に気を取られて慌てて目で追う。
まさか、
だが、すらりとした姿態と短く切った髪形が似ているだけで、まったくの別人であるこ
とをすぐに察する。
まったく……いい加減にしてくれよ。
あの女と別れてから、何度似たような女を見かけるたびに振り返っただろう。もう二度
と、会えるはずなどないのに……。
ブラックはその場に座り込んで、両手で顔をおおった。
あの女のことを思い出すたびに、どうやって息をすればいいのかすら分からなくなるほ
ど無気力になる。泣けばいいのか、それとも笑えばいいのかさえも分からない。
おれがこんな想いを抱えていることも知らずに、あいつは今頃、だれよりも敬愛する主
君に、生真面目に仕えているのだろうか。
例えばおれがあの時一言、行かないでくれ、と言ったなら、どうなっていただろうか。
そう考えてブラックは首を振った。
初めに約束をしたんだ。
聖王遺物の一つであるマスカレイドを取り返す協力をする代わりに、おれからすべてを
奪った奴を倒すのに協力しろ。それが終われば、いつでも離れていってやるよ、と。
四魔貴族の一人であるフォルネウスの本拠地に乗り込んで戦えと言ったにも関わらず、
あの女は顔色一つ変えずに、それであなたの協力が得られるのなら、とうなずいた。
奪われたマスカレイドを取り戻すためなら、いや、主君の信頼を取り戻すためなら、命
を投げ出しても構わないという必死の決意を、おれは最初から知っていたはずなのに。
そう思い返しながら、もう一度深いため息をついたとき、
「もし、」
突然、背後から声をかけられ反射的にブラックは、懐に隠し持っていた短剣に触れなが
らすばやく振り返った。
真後ろに立っていたのは、一人の老人だった。その老人に見覚えがあることにブラック
は気がついた。老後の生活を楽しむために大金をはたいてこの地に滞在をしている、と、
ハーマンと名乗っていた頃に聞いたことがあったのだ。
老人はまじまじとブラックを見つめて首を傾げる。
「ちょっと前まで、今のおまえさんと同じようにここで海を睨み付けていた老人に似てる
が、身内か何かか?」
短剣の刃から手を離しながら、ブラックは吐き捨てるように言った。
「人違いだろ。用がないんなら、さっさと向こうに行け」
殺伐としたブラックの雰囲気に恐れをなしたのか、老人は肩をすくめて足早に踵を返し
た。
「まったく、最近の奴は……」
ブラックはその老人の後ろ姿を見送りながら乱暴に頭を掻いた。
おそらく、あの老人は話し相手が欲しいのだろう。いくら金があると言っても、一人で
この地にいるのは寂しいに違いない。
だが、そんな老人の相手をしてやる心の余裕が今のブラックにないことも確かだった。
「ちくしょう」
ブラックは真っ青な空を見上げて毒づいた。このままではどうにかなってしまいそうだ
った。
眠れぬ時を過ごし、酒をあおってようやく手に入れた浅い眠りから目が覚めるたび、起
き抜けの無防備な心は、あの女はもういない、という現実をわざわざ思い出させる。
せめて、せめてもう一度会いたい。
ロアーヌの地に行けばあの女に会えることは分かっている。だがそれは、主君であるロ
アーヌ侯爵に誇らしげに仕えている彼女の姿を見ることだ。別の男のそばで幸せそうにし
ている彼女など、死んでも見たくない。
「どうしたらいいんだ……」
頭を抱えたブラックの肩をだれかが叩いた。さっきの老人が戻ってきたのだろうか。
「向こうに行けって言うのが分からねえのかっ」
怒鳴り声とともに振り返ったブラックは呆然と見上げた。片時も忘れたことのない凛々
しい女の姿がそこにある。
「カタリナ……か?」
会いたさのあまりに、幻影を見ているのかと思った。だが目の前のカタリナは面白がる
ように、ブラックの言葉にうなずいて言った。
「やっぱりここに来ていたのね。探す手間が省けたわ」
「ど、どうしてここに……」
カタリナは桟橋に膝をつき、ブラックの目の位置に顔を合わせる。
「決まっているでしょう。残りの魔貴族を倒すためよ」
「で、でもおまえはもう主人の元に帰ったんじゃなかったのか?」
「帰ったわ」
カタリナはうなずいた。
「命令を受けた以上、復命をするのは当然の義務でしょう? 大事なマスカレイドを他の
者に託すわけにもいかないし」
「しかし、」
カタリナはその言葉を遮って、言った。
「魔貴族の一人ビューネィが町に攻めてきて、ロアーヌが大変な状況なの。何とか、防ぐ
ことはできたのだけれど、またいつ攻めてくるか分からない。そんなとき、ここから北の
ルーブ山脈に巨竜ドーラの子供がいる情報をつかんだの。一緒に行ってもらえないかしら」
「ロアーヌ? なら、おまえの主人と共に戦えばいいじゃねえか」
再び会えた動揺のあまり、ブラックは心にもないことを口にしていた。カタリナは小首
を傾げる。
「……あの方は一国の領主だから、そうそう国を空けてはいられないわ。それに、奴らと
戦うためにはあなたのその力が必要なのを分かっているはずよ。それに、もう一つ」
カタリナはまっすぐブラックの顔を見つめた。
愛しい女に、息も触れるほどの距離からまっすぐ見つめられて、ブラックはがらにもな
くうろたえた。
「な、なんだよ」
だが、上ずっていたためか、やけにかすれた声だった。
カタリナはからかうように目だけで笑った。
「まだ分からない? それとも私に全部言わせる気?」
言葉を失ったブラックは、ただカタリナの美しい瞳を見つめるだけだった。その瞳は、
あなたを一人になどしない、と告げている。
「カタリナ……」
腕を伸ばして抱き寄せようとしたとき、
「ずるいよぉ、カタリナってば。船が岸に近づいた途端、荷物も持たないであっという
間に行っちゃうんだから」
「ブラックは見つかったか? しかし、暑い所だなあ。とりあえず宿で冷たいもんでも
飲もうぜ」
と、船着き場の方から大声が聞こえた。
「なんだ、またあいつらもいるのか」
顔を上げたブラックの目にふくれっつらのシャーベットと、ウォードが映った。その
後ろに荷物を抱えた詩人と、水着姿の女の子たちを振り返っているポールの姿も見える。
「ちょっと、ポールもこの荷物を持つのを手伝ってくださいよ」
「あ? ああ、それより右の子、ニーナに似てかわいくないか?」
うんざりした表情のブラックに、カタリナは片目をつぶって微笑む。
「一人よりも二人、二人よりも大勢よ」
舌打ちしたブラックは、カタリナの頬を指ではじいた。
「相変わらず、気のきかねえ女だ」
そう言って仲間を迎えるために立ち上がったが、唇を強く噛み締めなければ喜びで笑
みがこぼれてしまうのを押さえることはできそうになかった。
──終──
ナカタの感想・・
鼻血が出るほど素晴らしい!!ハァハァ・・
このちょっと子悪魔的なカタリナさんやカタリナを思うあまり情けない人間的な部分を
さらけ出してしまうブラックとかツボツボ!
しなちさんの筆は凄く読みやすくリフレインを効果的に使って(爺さんとカタリナ)場面
を効果的にかつ視覚的に表すことに成功しています。画面が全部漫画のコマで浮かぶほ
どに!
チョットだけしか出てこないウォードやタチアナ、詩人にポールもセリフだけでキャラ
を表せているし隙のないつくりです。
私が一番好きなところはブラックが振り向いてカタリナさんを見上げるシーンですが、
タチアナのセリフにある「荷物も持たないであっという間に」というところ。
カタリナさんったら飛んでいくほどに・・*>v<*
ご馳走様でした!!