「なあ。」夜の帳が下り、カタリナが野営用のテントを張っている時である。「何?」と声 だけ向け、カタリナは手際よくテント設置をかたづける。 声の主は、浅黒い肌をした強面の男。だが、薪の火をつけようと火打石をするたびにぴ ょこぴょこ揺れるお下げが愛らしい。 男の名は褐色のトルネード、ハリードである。そのかれが切れ切れに声を紡ぐ。 「お前さ、いつもよ、大剣、使ってるけどよ、」 気合の発露、とでもいったところか、言葉の終わりごとにガツリガツリと石がかち合う音 が響く。だが、まだ火が付いた気配は無い。ハリードは気が短いのか次第に 「えい、くそ」 などとつぶやくようになっていた。 「貸してみなさい」カチリとカタリナがハリードから受け取った石を打ち付けると瞬く間 に薪に火がともる。 「器用なものだな。」 ひとしきり感心の言葉を漏らすハリードにカタリナは微笑む。野営の経験がなかった彼女 にそれを叩き込んだのは他ならぬハリードだったのだ。初めは戦うこと以外何をやらせて もオロオロしているだけだった彼女が今のようにテントを設置したり、焚き木を起こせる ようになったのも全てはこのハリードのおかげ。いわば彼女にとっての先生ともいえる。 その先生に褒められると彼女は目も眩むような美しい笑顔をみせるのだ。  一瞬その美貌に吸い寄せられ息をすることも忘れたハリードだったが、直ぐにもとの表 情に戻って呟く。 「もう、俺が教えることは何もなくなったな。」  それはごく普通の、事実だけを語っただけなのだが、カタリナには別れを切り出される かのように感ぜられた。ハリードがいってしまう・・。 「そんな!私はまだ・・。」  思わず出た大声に耳まで真っ赤に染め上げカタリナは俯いた。そんなカタリナを見るの はハリードにとっては初めてだった。一瞬だけ覗けた彼女の瞳の奥に慕情にも似た火が宿 っていたことにハリードは絶句した。 『・・・そうなのか?』  だがそれを認めるには彼は些か若さが足りなかったともいえる。 『いや、カタリナにとって必要なのは俺ではなく・・。指示を与え導く誰か・・唯それだ けなのかもしれんな。』 紫色の鎧に身を包んだロアーヌ侯ミカエルの代わり。それを年上の自分に求めているだけ だと。そうハリードは思うことにした。のめり込んではいけない。それは自分の為にも彼 女のためにもならないから。俯くカタリナの頭にポンと手を乗せるとハリードは出来る限 り陽気に囁いた。 「そうだな、まだお前には男ってモノを教えてなかったな。」  火の出るような勢いで繰り出される拳の波に押しやられハリードはテントで横になった。 「格闘・・なんて教えた覚えも無いんだがなあ」  早足で去っていくカタリナを尻目に、ハリードはつぶやいた。全身が焼けるように熱か ったが、殴る前のカタリナの真っ赤な顔を反芻して緩む口元を平手ではたいた。 これでいい。呟きは天井に向かって吸い上げられていった。 次へ